昭和45年06月14日 特別奉修委員会



 昨夜、松栄会でまあ色々お話をさせて頂いたんですけれども。たまたま昨日、若先生がおりませんから、皆さんが見られる若先生、まあいうなら兄弟でも、まあそれぞれ本当にこれが兄弟じゃろうかと思うごと正反対なところがある。まあそういう例に勝彦と光昭の例が出たわけですけれどもね。本当にあの、光昭はもうとにかくもう親の思いに添いたいという一生懸命なものが感じられるわけですね。
 そすと勝彦の場合は、もう親が右と思うとりゃ左、左と思うとりゃ右の事をいつも平気でやってのけておると言った様なね、感じなんです。ですから皆んなにどう言う様なふうに若先生が映るかと言う様なことを。したら前の日の、福岡の共励会の時にも、お話が若先生、光昭とここの兄弟達の、栄四郎達の所まで、その話が話題になったそうです。それがそのう、本当に頭がええとか器量がええとかじゃなくて、本当の信心がね、あの子供さん達の上にでも、あのようにして。
 こう染み通って行く様にこの別に、一人一人信心の仕付をされる訳じゃないけれども、染込んで行っておると言う事がね、合楽の場合は素晴らしいという事だったらしいです。私まあ様々なお話をさせて貰いましたけれども、嘉郎さんがですね例えばあのう、若先生の場合はもう批判的な事をね、例えば先生が今良いとこ悪いとこ、まあ言うてみれって言われるけれども、批判的な事を言うたら必ずおかげを落としますしね、
 また批判する所ありませんと。けれども今度の御本部参拝の時に、帰りに汽車の中で若先生があっちさん行かんな、こっちさに一緒に帰って来なさるとほんに良かばってんち言うちから、言うたら徹が、そんな事じゃお前おかげ落とすぞち言うてから、叔父さんにそんなに言うたち。でそのことをやっぱりあの、気付かせて頂いて。帰りがけに汽車から降りた時に免許証やら財布やらいっとっとば汽車の中に忘れて来たって。
 ほうらねあんたが若先生の事ばあげなふうな、若先生は都合があってからあっち行っとんなはっとじゃから、こっちさ帰ってきなさっと良かばってんなんて、あんたが言うけんくさいち言うちからとうとう汽車、あのうすぐ調べて貰ったけど出て来なかったですよね。昨日、あのう雑餉の駅から電話が掛かってから、出て来たというその、あれ頂いたと。だからそんなふうですよ、もう打てば響くごたるです。
 若先生のことはこういうわけなんですね。麻生さんがこういう事言う、そうですなあどうこうっち事ないけれども、まあ、私達が頂いておる若先生ですね。ちょうどあちらへ御本部参拝をする日は、あのう福岡から参りましたから、あのう大橋に寄ったらしいんです。そしたらもうあちらの奥さんが、もう今日はもう手形でもうとにかくもう大変なところよち言うちからもう、麻生さんにふうが悪かげなもん。
 そん時にその僕が言いましたち。奥さんち今日は心配なさらんで良かですばい若先生が見えたけんでち言うた、と言えれる位な所まで若先生を信じとりますとこう言うですね。私はそれを聞かせて頂いて有り難いなあと思いました。その嘉郎さんが言う事ねあのうんだからね、まそれこそあの徹さんじゃなかけれども、親先生いつ死になさったっちゃ、もう僕だん心配うろたえませんちと言う様にですね様なものがね、もう本当にどう言う所から、いつの間にそういうものが育って来たかという事ですよね。
 昨日あの椛目の宮崎さん所の、あの栄四郎の友達の泉くんが自転車から落ちてからちょっとばっかりここ打ったりこう怪我をしたりしたち。昨日姉さんがお届けに来ました。今内田さんのお届けも又聞かせて、お届けがあったんですけれども、本当にこんだけ自動車がですね、行きかよっとる中にその、ひっくり返ってこうした時にバーっとトラックならトラックが来たらもうそれで一ころでお終いやった。
 まあ大変なおかげを頂いたもんじゃあるね。昨日行ったらこう寝とったそうです。で、こちらレントゲンにかかって、まだこっちはかかっとらんけんで、今日はまあ行くという事でしょうがね。あのうそういうまあおかげを頂いたという、私はその事をね、今あのうお願いしたり思うたりさせて頂いたらね、ちょうどあの勝彦が、あの不動様の横の椛目の石垣の中に頭頭を打ちわって、あらああそこのババしゃま出てきてからもう。
 これはおおごと出来たと言うて、大変なあのう、お世話をかけた事があって抱いてきて貰った事が、もうそれこそワクワクするようにですね。それから早う医者に行って、早う縫うて貰いなさいちと、あのう言われた事がございましたが、まあそんな時だって同なし事でしたが、あの目に竹のくいが刺さった時なんかね、目が引っくり返って外出てしましたっですから、竹をこうやって引き抜いたっちゃん。
 それだってもう医者のいの字も言わなかった私です、いうならさあ打ち割って来とるけんで、さあなら医者にどうと言う事も何、はあおかげ頂くぞ。わんわん言うて泣きよりますけん、「痛くないごとお願いするぞう」、と言うたぎりですよね、そういうね、あの確信を持った神様の信心を子供ながらこげなとっから頂いて来とるちいう事ですよ、実際にそれぞれの身の上にでもね。
 例えば昨日、あのう永瀬さん所のまつ子さんがハクマイ病という、ひと心臓と腎臓が悪いから、養生に掛からなきゃいけないと医者から言われたと、こう言うんです。まつ子さんがあの、そげん言いなさったけん、お薬はもろうて来たばってんお父さん、私はお薬は飲まんけん、あのう親先生にお届けしてくれんの、御神米ば頂いて来てくれんのとこう言うたとこう言う。
 で親が心配そうな顔してたら、直子ちゃんでもあげんおかげ頂きなさったけん、いつも来てから一緒に遊もうあれだ、あのまあ言うなら破傷風でしょうね。ならこれは若先生が時と同じ事ですよ。まだ今でもちょっとちんば引きよりますがね。それこそ医者のいの字も言わん、それでも学校から診断書が必要だと言うから、お願いしときゃいいと言ったら、丁度小野先生がその事を聞いて診断書を書いてきて下さったんですけどね。
 あのね折角お互いが金光様のご信心を頂くのですからね、そういう確信的な信心を自分が頂いて、子供に言うて聞かせたり見せておいたりして見せとかなきゃいかんちいう事ですよ、そういう物がね勝彦達の信心の底にあるわけですいつも。だから例えば青年会のなんか、心配するなと若先生が言うたら、心配せんで済むとこう言う。なぜそれが言えるかって。子供のときからそれだけ、そういうふうな教育を、そういうチャンスを掴んでは、いつもかつも出来るものじゃない。
 そういうチャンスを頂いては、神様の絶対なもの、間違いのないものを頂いておる。そういう事がです、今その事を頂くんですけどそれが昨日、嘉郎さんやら麻生さんが言うた、奥さん心配しなさいますなって今日は、若先生が来ちゃるじゃないですかち言うたち。本当にまあ本当にまあそのものズバリの事を、まあ言いもしたが、勿論おかげ受けております。ならですね片一方はもうそげな段じゃなか、とてもそげな事じゃなか今日はもう金のたらんでどんこんされんでち言うちからもう、ふうとくのう言うたけど。
 それを麻生さんが奥さん今日は心配しなさんなと言うたって、若先生が来ちゃるじゃないですかって言うた。私その辺の所がですね、大人の信心には欠げとる様な感じが致しますね。そう言う所を若い人達がもう一同にこう頂いて行きよるです。どうでしょう例えばなら今日、今の泉君の例を出しちゃ悪いですけれど、自転車から落てた位なんね、ちゃんと御神米ばお祭りしてお神酒を祀っとるけ、ちゃんとおかげ頂く。
 さあもうお父さんがお願いに出て来たから大丈夫と言う様なですね、行き方で本当におかげを頂かせたらですね、それがどの位子供の信心に影響するかね。さあレントゲンにかけれさあ薬さあ医者、さあそして神様のお願いして来いという位な事でね。それも親が出て来る訳でもない位な信心でですよね。それではね良い信心の教育はでけませんよね。というてなら信心もできらないのに、親先生が言いなさったけんほうからかす。
 これまた危険な事ですよね。だからそういう信心を頂いておかなきゃいけんという事ですよ。子供がどうのこうのと言うてから、そういう信心を子供に与えきっとらんとです、親がね。大変な事ですよね、信心の受け渡していう事が、非常にやかましく言われます。特に教会子弟の、もうお父さんが金光様の先生しよったっちゃ、じゃあ自分だん、とてもあげなこっじゃでけんとこう言う。竹内先生の所の、見えた先生で嬉野教会の非常うに、是は萩の教会の出社。
 奥さんは甘木のお弟子さんでもう長年になる、そうにゃ辛抱もしなさるばってん、御比礼が立たないという教会があるそうです。それがそのうまあ、竹内のお婆ちゃんのお話を聞いてですね、もうたまがってしまう。だからどんなに辛抱しとるからって、その確信の芯がなくてから辛抱しただけじゃ何にもならんち言う事。絶対のものを信じきってからの辛抱でなからなければ駄目だ、しかもそういうものが頂けたり。
 また子供に与えられたりする機会といものはいつもかつもあるもんじゃなか。大丈夫、お父さんがお願いして来たからもう大丈夫よと言えれるね、おかげ。そういうね、そういうその確信に満ちた信心をまず親自身が頂かなければね。そういうチャンスはいつも、ああ私共願っておけばあるはずですからね、そういうところの、いわゆる今日の朝の御理解じゃないけど、信のものね、信心の。それをもっともっと確固たるものにして行かなきゃいけないと思うですね。
   どうぞ。